前編ではshiga1ペーサーの事前準備とスタートから1区間目のペーサー業務完了、ペーサー業務引き継ぎまでを記した。
後編では2区間目のフィニッシュまでのペーサー業務について記していく。
<2区間目をどこから入るか?--神降臨-->
1区間目を歩いている間に2人いるペーサーの各区間の追加の申し入れが肉肉氏からあった。
shiga1スタートして2日目に区間追加を決心したらしい。
鈴鹿の山中で悪天候、スマホ不具合からロスト、藪漕ぎ、さらに2日目なのに幻覚を見始めるなど危うい状況に陥り、できるだけペーサー区間は長い方がいい、と思ったそうだ。
前編で引き継いでLB5からLB7まで2日間をT氏が担当し、その後は?
じゃあLB7からといきたいところだが、
LB7へのアクセスに問題があり、二転三転し次のポイントのA20栃生から合流することになった。ここに至るまでには1人の救世主の存在が鍵になった。
複数名のメンバーで編成されたチームで選手、ペーサーをサポートするのであれば、ペーサーのLBへのアクセス、回収は誰かが車を回せば済む。一方で我々のチームでは送迎役はいない為合流、離脱地点へのアクセス手段を確保する必要があった。
1区間目のLB4、5の合流、離脱については幸い姉が対応してくれたため上手くいった。
では2区間目、アクセス手段も含めどこから合流可能か?
1番長く一緒に行動できる
LB7のある小川集会所は山深く、公共交通機関では行けない。
合流地点への到着時刻が正確には読めない。
ボラで参加中の仲間に便乗できないか?
早めに合流地点入りしておいて仮眠しておく?そんな場所ないし…やはり車で行きたい。
自分で車で行くなら和邇駅近くの駐車場に停めてA21の還来神社か。ここならいざとなったら車で仮眠して合流できる。
…と決めかけたが、グループチャットの情報では高島トレイルを進む肉肉氏の状況はかなり過酷なものになっているようだ。
このままだとLB7から比良山系をまるまる1人で越えなければならない。
勿論ルートファインディングもしないといけないし1人では途方もない行程になるだろうなぁと想像し絶望した。
どうにか比良山系の手前で合流したい。どうにかならないか?
京都駅からの始発バスなどいろいろ考えて途方に暮れていたところに肉肉氏の仲間、つまり私が出雲にいた頃の仲間のS吉氏がサプライズで応援に来るという情報が入った。飛びついて連絡を入れた。
送迎役を快諾してくれて、
進行状況から始発のJRで堅田駅に行った所を拾って貰ってそこから山間部のA20栃生に送って貰えることになった。
しかもLB7で業務終了のペーサーT氏を迎えてT氏のバイクをLB5まで取りに行く任務にも同行してくれた。
まさに神!
S吉氏の存在により繋がったと言っても過言では無い。
ここから"神"吉氏と呼ぶことに。
神の登場により
A21還来神社〜フィニッシュ 37km
のペーサー区間予定を
A20栃生〜フィニッシュ 63kmに変更できた。
比良山系を1人で乗り越えた後に合流の所を
比良山系もナビゲーションなどのサポートをしながら肉肉氏には走る、歩くことに集中してもらえる。
ホッとすると同時に何としてもフィニッシュさせる!という緊張感も出てきた。
ミスはお互いに許されない。
<ペーサー2区間目>2022年5月7日〜8日
"神"吉氏の登場により
私のペーサー業務2区間目はA20栃生からとなった。
予定通り始発の電車でJR堅田駅に向かい、神に拾って貰った。
既にLB7小川までで90kmにも及ぶペーサー業務を終えたT氏も同乗しており、LB7までの壮絶な状況を聴き、肉肉氏の疲労も相当なもので特に睡眠不足の蓄積が大きく影響している。
あと一晩持ち堪えさせる。それが私の使命。
LB7からA20までは短いものの久しぶりの単独での行動となる。
心配していたが、力強い足取りでA20に走って登場した。
A20でひと通りの補給をする。
相変わらずよく食べる。
朝8時過ぎにA20を出発。 明るくなったからか?
久しぶりの私との再会が新鮮だったか?
肉肉氏は元気な足取りで登る。
ここまで来て幻覚、幻聴が当たり前になってきた話や、
肉体的な不調など色々話したり、1回目のペーサー区間同様に退屈させないように話し続ける。
イクワタ峠まではフェアリートレイルで辿ったことのある道、の筈。
当時はフラフラで登りに1時間20分かかっていたが、今回は割とサクサク登れた印象。
稜線に出たら武奈ヶ岳までの登りだ。
ひと休みも入れながら進む。
足の浮腫み、足の甲の痛み、足の裏の痺れなどが気になってきている。
膝裏のツボを押したり脹脛のマッサージなどしてみたり色々試してみるが効いているのかは不明。
本当によく体は動いている。
稜線からの琵琶湖の眺めはとても良く。
ペーサーの私はいい景色とはしゃぐが
肉肉氏は景色を見る気持ちの余裕もない。
見飽きたのかもしれないが。
リアクションは薄い。
記念なので写真はたくさん撮っておいた。
そこそこの登りを制して武奈ヶ岳到着。
まずまず元気はある。
ここからなかなかスピードが出なかった。
原因の全ては疲労、睡眠不足だが、
現象としては物が二重に見える状況。
ガレていて足場が悪いと慎重に歩くしか無く
スピードは落ちる。
沢沿いのややテクニカルなルートを下り、
八雲ヶ原手前で仮眠。20分で起こす。
あまり眠れず、すっきりしていなさそう。
次はもっと長めに寝かしておくか。
少しの仮眠であまり回復せず、
ここから縦走路は割とアップダウンを繰り返す。登りはサクサク。問題は下り。物が二重に見える問題で減速気味。時間も割と押していたが急かすわけにも行かない。
やれる事をやるしかない。
少し復活し進む。
比良山系っぽい森を進む。
木戸峠からいよいよびわ湖バレイ。
目先の目標を設定することがロングでは重要。
びわ湖バレイで大休止しよう、と話していた。
ゲレンデの直登も力強く登る。
固形物が不足気味だったので売店で買えないか探しに行くが、少し前に閉店(ToT)
水分補給、トイレだけ済ます。
腰を下ろして休む。
次のエイド、A21還来神社の関門時刻に間に合いますかねー、なんて他の関門ファイターと話したり。
そこそこ急がないと、のんびりしていたら関門アウトになるから、サクサク行こう、と。
素晴らしい景色を満喫しながら(私だけ?)
向こうに見える比叡山山系も越えていくのかー
なんて話は敢えてしなかったかな。途方もないから。
琵琶湖を眼下に。
時間のこともあるので肉肉氏、ギア入れて走る。
二重に見える問題は?
脚の痛みは?
良いペースで走ってる!
そう思ったのも束の間、
しばらくすると、ホッケ山から権現山の間で、
トラブル発生!
10mくらい前方に熊。
初めて見た。
どうしよ。
急いで後方の肉肉氏に伝え、
これだけ距離もあるし音で逃げるか様子を見ることに。
距離を保ちつつ拍手や奇声を発していると、
あちらから立ち去ってくれた。
奇声を上げながら出没地点を無事通過。
北アルプスで仲間が熊に遭遇したときはあちらから近づいてきたり離れたり、下手に刺激もできない感じだったらしい。
今回のこの対応が正しかったのかはわからない。
変な汗かいた後に、
権現山からの急降下を慎重に下り、霊仙山を越えて良いペースで進む。
最後の下りもサクサクと。
A21還来神社の出発の関門は21時。
A21還来神社 401km
到着したのは18時40分頃。
この時点で遅い選手のタイムテーブルから1時間20分前倒しできてる。
19時くらいには着かないとなーと話していたが、少し巻けた。よし。
夜に比叡山を抜ける。比叡山中はエイドが無い。ガッツリ食べる。
鯖缶丼、結構なボリューム
更にはうどんも。
肉肉氏が気になっていた脚の甲にもテーピング貼れた。
食事を摂っていると声をかけられた。
あれ?誰?
選手?ボラの方?
何と鳥取のKGさんだった。
なぜここにいる?
しかもここは選手、ペーサ、ボラなどの関係者しか入られないエリアなんだけどなぁ。
KGさん面白すぎる。
後で分かったのは、エイドのエリア外の還来神社の鳥居のところに私の家族や"神"吉氏が見送りで待っていてくれたけど、そこに限定エリアから追い出されたKGさんも居たことに誰も気づかなかったとのこと。
後でこの事を言ったら、皆んな
え⁈ KGさん、居たの⁈
だってさ。
意外なハプニングに笑い、補給もバッチリして、いよいよ最後の夜に突入する。
A21還来神社を19時半頃出発。
出発の関門時刻は21時。
結構巻けた。
どん底関門ファイターは脱したか?
この先はLBもない。
つまりガッツリ仮眠する場所は確保されていない。
睡眠なしでフィニッシュまで行く。
トラブったらフィニッシュ関門アウトとなる。
覚悟のようなものを抱いて比叡山山塊へ入山した。
入山してから大尾山までは
里山の細かなアップダウンとあっち行ったりこっち行ったり蛇行するコースに方向感覚と距離感がおかしくなるセクション。
そうなると知っていたため気持ち的には備えていたため私はどうにかやり過ごせたが、
肉肉氏には辛い行程となる。
時々大尾山まであとどれくらいの距離か、
この先に高圧鉄塔の横を通る所があって…など
先のルートのイメージを話したり、
何となくでもイメージ持って歩いて貰えるように工夫した、つもり。
大尾山過ぎて、一気に進みやすくなり、
ここからは特によく知った山域だ。
庭とまでは言わないがこの先に何があるか把握できており、夜だろうと不安はない。
こう言う安心感をペーサーから選手に伝えることができていたなら成功だ。
横高山までどちらかと言うと大きめのアップダウンが続くが進むべき方向は尾根上で明確なため登りも嫌な感じはしていない。
しばらく順調だったが、
いよいよ限界来たか?
仮眠しとこう、と肉肉氏から提案があった。
深夜0時の少し前くらいだった。
私も少し眠気が来ていたし合わせて眠ることにした。スッキリした後サクサク進めたら良いなと淡い期待をしつつ。
眠れそうな場所を探す。
風が吹いていた。
先行するグループが尾根の影の平らな場所を見つけて3人で寝ていて、上手い所探したなぁと感心した。
我々もいい感じの場所を横高山への途中のコルに見つけた。
エマージェンシービビィに入り寝る。
私が持ってきたサーマレストのマットを使って貰う。
私は山でのビバークは実は初めてで、
エマージェンシービビィに入るのも初めてで
果たして眠れるのか?
20〜30分くらいだったか?
アラームで起こされた。
一応寝ていたみたいだが、スッキリはしない。
気絶するくらいの眠気でないと仮眠後にシャキッとはしないのかも。
後日、仮眠した場所を訪れた。
尾根の東側に丁度作業道があってフラットになっていて風除けにもなっていて適地だった。
こんな感じで2人横になっていた(笑)
仮眠から目覚め、少しスッキリしたか
そう思い込んで進むしかないのか、
延暦寺方面へ進む。
この辺記憶がないなぁ。
比叡ケーブル駅でパシャリ。
余裕あるように見える。
ここからいよいよ比叡山を下りる。
気分的にはもう大きな上りは、
最後の大文字山だけ。
気持ち的にはとても楽になったか?
そのせいか?
水飲み対陣までの下り、
普段なら軽快に、何も思わず下って行くのだけど、瞬きの間隔?目を閉じてから開く時間?が
長くなってきた。
私の眠気が襲ってくる前兆はこれだ。
ここから眠気にフラフラし始めてきた。
どうにか水飲み対陣、石鳥居に着いたが、
この先の林道で谷側に吸い込まれて滑落、みたいなこともよぎったので、今度こそ仮眠することにした。
1回目の仮眠は限界の眠気では無かったからサクッと寝入ることができなかった。
これくらい眠気の限界が来てからの方が良かった。
林道手前の平らなところを見つけて、また20分くらいのアラームで寝て、起きた。
今回はエスケープビビィも出さず雑魚寝。
後日、仮眠場所を確認。
こんな場所。
起きて走り始め、
林道横が切れ落ちていて、
ここに吸い込まれたらあかん、と
肉肉氏にも注意を促しつつ通過。
瓜生山手前の何てことないトレイルでも
眠気の限界が来て道端でまた寝た。
よく寝たという感じにはなれないが、どうしようもない眠気は一瞬いなくなる。
こんなことを1人で乗り越えて来たのか肉肉氏は。
眠い、眠い、早く太陽出てきてくれーと思いながら、慣れ親しんだルートを果てしなく感じつつ絶望しながら進んでようやくバプテスト病院へ出た。
太陽が出てきたのと次のエイドA22鹿ヶ谷が最後のエイドであることから、いよいよ最後だと思い足取りは若干軽く?
A22鹿ヶ谷 425km地点 朝5時半頃到着
A21から10時間近くかかった。
A22への到着は遅い選手の予定時刻の6時と大して変わらない時刻となった。
やはり関門ファイター?
最後の補給ポイントとなる。
もちろんここでもたくさん食べる。
朝ご飯にカップヌードル食べたな。
いよいよフィニッシュまで残るはひと区間。
ここまで来て関門アウトは絶対に避けねば。
フィニッシュ関門は10時。
フィニッシュまで3時間?なんて情報も。
9時くらいには余裕を持ってフィニッシュしたいなら6時までにはエイドを出ないと。
ささっと準備してA22を5時43分に出発。
実行委員長の近藤さんも関門ファイター達を見守っていた。
残り13km、ついに最後の区間。
大文字から如意越え、逢坂山、お馴染みの長等公園へ。
細かいアップダウンも分岐も難所も分かっている。道迷いでロスなんてことにはさせない。
肉肉氏に情報を入れつつ、走りに集中してもらう。
法然寺からの登り、前に2名居た選手をパス。
というか、後ろから付いてくる肉肉氏の圧が凄くて登りのペースを上げてもついてくる。
更に上げてもついてくる。
自分のレースペースくらいに心拍数上げてハァハァ登って引っ張ってもピタッとついてくる肉肉氏。
どーなってんの?
425km進んできた人なの?
本当に
私、結構きついんすけど。
何とか火床をクリア。
大文字山山頂までの登りもいいペースだぞ?
ペーサー必死だぞ?
如意が岳、小関峠までの細かいアップダウンもプッシュプッシュ。
ややこしい分岐にも迷わず突っ込ませることができてるペーサーとしての充実感味わいながら、プッシュ。
とにかくプッシュ。
長等山過ぎて、
普段通る時割とテクニカルだから気を付けている下り斜面があり、肉肉氏に足元の注意を促すも、これまで通った県境のバリエーションルートの下りに比べたら大したこと無かったみたいでサクッと下りていった。
430km近く進んできてこの下りサクサク下れるのか?
腰を傷めてしまった選手をまた1人パス。
深いダメージを負っている選手もいるが
肉肉氏は最早元気というレベル。
小関峠でまた1人パス。
逢坂山への最後の登りもぐいぐいと力強い。
撮影中のシガイチ整備のUさんと言葉を交わして、逢坂山からの景色も完全スルーでフィニッシュの大津港に向けて突き進むことに集中していた。
最後の下りもミドルのレースのスパートと同じくらいで飛ばして肉肉氏を引っ張る。ついて来る。マジか、人って痛いとかどこかへ行っちゃうんだな。
長等公園からの最後の階段も普通に下りるし。
浜大津へのロードも8分半で走る。
噛みしめながら走った。
どうだった?など聞きながら。
泣く?泣く?とか
他はどんな会話したか覚えてない…
フィニッシュ見えた。
やった、やった
肉肉氏も安堵の表情
裸足ペーサーT氏、"神"吉氏もフィニッシュに駆け付けてくれている。
T氏にも"一緒に行こう"と誘う。
これまで先導していたが肉肉氏に先に行ってもらう。
フィニッシュゲートを目の前にして、
不思議だ、涙は出ない。
今この文章書きながらウルウルしているのは何故だろう。
やった
やった
フィニッシュ 5/8 7時50分 438km
歓喜のフィニッシュってこう言うこと。
大会オフィシャル写真から
私、肉肉氏をペーサー2人で何とかフィニッシュさせた充実感に溢れた顔してる。
T氏も、やった、やった、と泣いてる??
<フィニッシュしてもらえて>
実際、どんなトラブルが起きてもおかしくない体調(疲れ、睡眠不足、脚の疲労などなど)だったし、トラブル起きたら即DNFにつながるため、道中色んな注意をしながら進んだ。慎重になり過ぎても関門時刻もあるしでとにかく前に進むしかなかった。トラブルや負担が最小になるように気を遣いつつ、ペーサーが脚引っ張るとかあり得ないからっていうプレッシャーはあった。
結果的に最後ボロボロになって全歩きでフィニッシュどころか、最後の区間軽快にスパートしてフィニッシュさせることができた。
ペーサー冥利に尽きる。ほっとした。
<おまけ>
後でわかったことだが、
肉肉氏に尻叩かれてレースペースくらいにプッシュして登った法然寺から火床の登りのSTRAVAセグメントでtop10入りしていた。
フレッシュな脚でランクインするようなものなのだけど、420km以上進んできた脚で成し遂げた。
またA22鹿ヶ谷からフィニッシュの13kmの区間、3時間かかるんじゃないかと言われていたが、約2時間で走破していて、大会本部の度肝を抜いたし、想定外に早くて妻のフィニッシュの合流に間に合わなかった。(誤記を修正)
どーなってんのさ。
凄いよ。
<走行データ>
私自身は肉肉氏の足元にも及ばないが、
最後の区間でどぎついコースをやりきったのと自身の最長行動時間を更新していろいろと自信になった。
A20〜フィニッシュ
時間:23時間38分
距離:63.4km
累積標高差:4504mD+
コースプロファイルは以下。
<備忘>
装備としては1区間目の気付きから、
ザックを大容量のサロモンのOUT DAY20+4に変更。
トレイルラン用では入れられない程の容量が入る。もしもに対応できるように。ペーサーでこの容量を背負っている人居なかったが、安心感あった。
フロントのポケットが豊富ではないのがNGと考えていたが、ポーチで対応。
RawLow Mountain worksのウエストポーチに行動食や頻繁に取り出すものを入れたのは大正解。高速で走らず歩くスタイルがほとんどなので揺れは気にならず。
<結び>
これまで色んなレースに出てきて、
12〜13時間行動の60〜70kmのトレイルランのレースが自分の1つの限界ということを決めていた。
巷では100マイル走ったら100マイラーとか言って正直バカバカしい(失礼)とか、
自分には関係ない世界だと思っていたが、
430km、8日間も動き続けた彼らを目の当たりにしてそんな価値観はどこかへ行ってしまった。100マイルとか何日か行動したら辿り着けそうとまで思っている。
急に自分の身体が軽くなった気分でとても危険なのだが、こんな気持ちにしてくれた今回の経験はかけがえのないものであり、肉肉氏には感謝している。
どこかで私のチャレンジのペーサーになってもらいたい(^^)
余談だが、
今回の経験もあり、ついに私も100マイル走にチャレンジすることになった。
寝ずに走るとか、やれるっしょ、と。
初めて100マイルを走る人のためのイベントと言ってもいい「BAMBI100」に出走が決まっている。
4周周回なのでレポートにできるかは不明だが、
写真なども残して記事にまとめたい。